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本事故の原因は、旧動燃が発注した高速増殖炉の研究炉「常陽」用核燃料の製造工程における、JCOのずさんな作業工程管理にあった。

JCOは燃料加工の工程において、国の管理規定に沿った正規マニュアルではなく「裏マニュアル」を運用していた。
一例をあげると、原料であるウラン化合物の粉末を溶解する工程では正規マニュアルでは「溶解塔」という装置を使用するという手順だったが、裏マニュアルではステンレス製バケツを用いた手順に改変されていた。
事故当日はこの裏マニュアルをも改悪した手順で作業がなされていた。
具体的には、最終工程である製品の均質化作業で、
臨界状態に至らないよう形状制限がなされた容器(貯塔)を使用するところを、作業の効率化を図るため、別の、背丈が低く内径の広い、冷却水のジャケットに包まれた容器(沈殿槽)に変更していた。

その結果、濃縮度18.8%の硝酸ウラニル水溶液を不当に大量に貯蔵した容器の周りにある冷却水中性子の反射材となって溶液が臨界状態となり、中性子線等の放射線が大量に放射された。
ステンレスバケツで溶液を扱っていた作業員の一人は、「約16kgのウラン溶液を溶解槽に移している時に
青い光が出た」と語った。

東海村JCOバケツ臨界ウラン放射線・放射能被爆事故
アップロード日: 2009/12/22 
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1999年に茨城県東海村のJCOにて起こった、バケツを使った作業でウラン溶液の臨界による作業員の放射線被爆事故についてのドキュメント番組です。
事故当日、会社のマニュアルに沿ってウランを濃縮する作業をしていた。
臨界の起きる可能性についてはまったく知らされていなかった。
7杯目のウラン溶液を注いだ時、突然青い光が走った。
ウランの臨界が起き、放射線が作業者の細胞の染色体を直撃した。
染色体は全ての遺伝情報が収められた人体の設計図です。
染色体が破壊された事は今後新しい細胞が作られない事を意味します。
染色体が破壊された事により最初に異常が表れたのは血液の細胞でした。
身体を守る働きをする白血球が急激に減少していました。
ウィルスや細菌に感染しやすい状態のため、無菌室移された。
唯一の手段は白血球を作る細胞の移植でした。
2日かけて、妹の血液から分離された細胞が移植されました。
医者は家族へ病状の進行を毎日知らせ、真実として受け入れてもらうようにした。
1週間したころから、治療用のテープの痕が消えなくなった。
健康な時は、皮膚の細胞は増殖して古い細胞と置き換わるが、放射線を浴びた作業者の身体には新しい細胞が出来なくなりました。


臨界ウラン放射線・放射能被爆事故・その2

アップロード日: 2010/05/24 

呼吸困難になり、器官に管をいれる手術が行われた。
無言の戦いが始まった。
移植した妹の細胞がねずいているか検査がされた。
白血球の細胞が根付いたのは被爆治療において始めてだった。
一時は健康な時と、同じ位に白血球が増えた。
しかし、一週間後、移植した妹の細胞の染色体を傷つけているのがみつかった。
一度根付いた細胞が壊れるのは、白血球細胞移植では始めての事で、放射線の影響が考えられた。
内臓全般に、細胞の壊死が起こった。
内臓粘膜がはがれたところから、出血が起こり、輸血を行い、臨床中の物も含め可能性のある全ての治療方が試された。
皮膚が失われたところから、血液や身体の水分染みだしていた。
ガーゼで皮膚の無くなった身体を覆うのは半日がかりの痛みを伴う治療で、目からは血の涙をながしていた。
被爆した放射線の量が多いところから、身体全体に被爆が広がった!

臨界ウラン放射線・放射能被爆事故・その3

水分の染み出しが多いところに、バイオ皮膚の移植が毎日行われた。
しかし、移植したバイオ皮膚が根付くことはなかった。
治療方針を決める会議では、医師達の言葉が無くなっていた。
治療効果に疑問を持つ事を恐れながら、治療は続いた。
被爆の進んだ状態では、ここにいる人は何なのだろうという感じを看護婦は持った。
既に人間として、様相は無くなっていた。
心拍数は一分間125.
ある朝心臓がとまり、再開と停止を三度くりかえした。
一時間後、心臓が再び鼓動を始めた。
心臓が一時止まった事で、脳及び全身の臓器に重大なダメージを与えた。
外からの機械により生かされている状態で、医師達にも治療をやめた方が良いのではという思いが起きた。

臨界ウラン放射線・放射能被爆事故・4


医師達の治療をやめた方が良いんじゃないかという問いに家族は最後の最後まで希望を捨てなかった。

血液のなかで、免疫細胞が異常をきたし、正常な白血球に襲い掛かっていた。
医師達も進退窮まっていた。

被爆81日目の夜、医師は家族全員を呼び、今度心臓が止まったら延命措置をしない方が良いと説明し、家族は言葉すくなに部屋をあとにした。
被爆83日目、小学生の息子が父親に呼びかけ、妻は始めて泣いていた。
看護婦は思った我慢しないでと。
その日の夜、息を引き取った。
人間の身体を内側からこわして行く放射線被爆。
放射線の影響をもっとも受けにくいとされる筋肉。
それが、大量の放射線を浴びて、筋肉の繊維がほとんど失われていた。
ただひとつ心臓の筋肉だけ破壊されていなかった。
何故、心臓の筋肉だけが細胞が壊れなかったのかは意までに結論は出ていない。
ただ医師達がどんなに手を尽くしても、人間の作った放射能被爆はとんでもないものだと言う感想だけが残った


臨界ウラン放射線・放射能被爆事故・5


茨城県東海村JCOの臨界事故について 小出裕章
公開日: 2013/10/10 


研究者から見た事故の重大性について。
ウランは濃度を高めないと、核分裂の連鎖反応が持続する臨界は起きない。
臨界管理として、世界では常識となっている。

1970年代に根絶された筈の臨界事故が1999年9月30日に日本で起きた。
原子力に関しては、日本は後進国である。

朽ちていった命―被曝治療83日間の記録に被爆事故の悲惨さが書かれており、1ページ読む度に閉じたくなる飛散な状況である。

JCOでは、臨界の起きる可能性がある、ウランを一箇所に集める工場として認可された。
認可した国に責任がある。